家庭の中だけにいる妻というのは、なんとなく世間から置いてきぼりをくうような気持ちになることがあるのかもしれません。向田邦子さんの『思い出トランプ』に、「花の名前」という短編があるのですが、その中で、「女の物差しは二十五年たっても変わらないが、男の目盛りは大きくなる」という言葉があります。ストーリーをかいつまんでお話しすると、花の名前を全部知っているということが自慢の妻は、花の名前はおろか野菜の名前も知らない夫に、これからは私がいろいろと教えてあげると約束していたんです。結婚したころは、夫もそんなふうにして花の名前を覚えることが嬉しかった。でも、それから十何年がすぎて、相変わらず花の名前を持ち出す妻に、ある日ポツリと、夫は言うんです。「花の名前、それがどうした」。そこで初めて妻は、自分の目盛りと夫の目盛りに差がついてしまったことに気がついて愕然とするわけですが、もうそれでは遅いんです。ある二人の人間のあいたに何かの関係が生じた場合、人間関係というものはどちらかが優位で、どちらかが下位になる部分が必ずあります。もし自分か成長することがなければ、その関係は絶対的なものだと思い込みがちです。とくに家庭の主婦の場合、人間関係は固定され、時間だけが流れていく。一方の男の人には、会社などでいろいろなことがあって、物差しの目盛りが大きくなっていく。「花の名前」は、そんな歳月を重ねた夫婦の成長の開きを、物語の中で如実に表しています。つまり、人間関係というものはずっと固定されたものではなく、どちらかが優位になったり、なられたりしながら、お互いが同じように成長していくと、同じ目盛りで年がとれるのに、うっかりすると、そうはいかない。人間は、日々努力だと思うんです。「私はきれいだし、若いし」なんて思って努力することを怠ってしまうと、とたんにすべてを失いますね。本当にあっという間に、自分の仕事でもらうことですが、若い人たちの作品なんかを見ると、自分のスタイルが古くさいなあというのに、ある日ハッと気づかされたりするんです。自分のスタイルというのをつくって、そこに安心していたのが、「そういえばここ三年ぐらい同じ構図だなあ」と反省したりします。成長が止まってしまうと、そこから先に進めなくなってしまうんですね。